2022年 第13回 田中裕明賞

受賞者の言葉

相子 智恵(あいこ ちえ)

1976年 長野県飯田市生まれ
1995年 小澤實に師事
2000年 「澤」創刊に参加
2003年 澤新人賞受賞
2005年 澤特別作品賞受賞
2009年 第五五回角川俳句賞受賞
共著に『セレクション俳人 プラス 新撰21』(邑書林)『虚子に学ぶ俳句365日』『子規に学ぶ俳句365日』(草思社)『俳コレ』(邑書林)『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂)。「澤」同人、俳人協会会員。

 

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   二〇〇四年の歳晩のことだった。「澤」編集部のメーリングリストに、たった一行のメールが流れてきた。「澤」主宰である師の小澤實が、田中裕明の訃報を受けて思わず書いたようだ。親友を失った動揺と悲痛に満ちた、まるで幼子の叫びのような短いメールの言葉は、十七年が経った今でもよく覚えている。皮肉にもこれが、私が田中裕明の俳句に出会うきっかけとなったのだった。

 『田中裕明全句集』をまた開いてみた。最初に読んだ時の鉛筆書きのレ点と丸がたくさんついている。好きな句の印がレ点で、もっと好きな句が丸だ。レ点と丸は、ぐらぐらと揺れている。祖母の訃報を受けて、東京から飯田へと向かう中央道高速バスの振動の中で読んでいたからだ。あの日、バスの窓から見つめた冬山の姿も、なぜだかよく覚えている。

 そんなふうに細部はよく覚えているというのに、私は自分の俳句や文章は後から読むのが恥ずかしくて苦手で、書いたそばから忘れていってしまう。高速バスの中でつけていたぐらぐらの丸は、『田中裕明全句集』を当時の若手俳人・歌人・詩人が読むという、ふらんす堂のWEB企画「昼寝の国の人――田中裕明全句集を読む」のために鑑賞する句を選んでいたのだった。その企画は二〇〇八年に小冊子になっている。

 そうだ、あの小冊子には何を書いたのだったっけ、と今回改めて引っ張り出してみて笑ってしまった。自己紹介の文章の一部が、『呼応』のあとがきの一部にそっくりだったからである。すっかり忘れて、また同じことを書いていたのだ。いや、その一部分こそが、自分が意識的にも無意識にも、ずっと思い続けてきたことなのだろう。

 七歳になった息子が、やっと逆上がりができるようになった夕方、受賞の報せをいただいた。今晩は逆上がりができたお祝いと、俳句の賞のお祝いを一緒にやろうと息子に話しながら、

  紫雲英草まるく敷きつめ子が二人  『山信』

の一句を思った。裕明の第一句集『山信』冒頭に置かれた子どもの句。天上の音楽が聴こえてきそうなこの句が、十八歳の作だということを。その「俳句の神に愛され」た才を。

 次の日、息子がまた逆上がりを見せてあげると嬉しそうに言うので、公園に行った。しかし、逆上がりはできなくなっていた。悔しくて何度も何度も空へ足を振り上げ続けて、ようやくまた三回できた。平凡な私も、これから何度も何度も俳句を詠み続けていれば、いつか三回くらいは、天上の音楽が聴こえるような句を詠むことができるのだろうか。裕明が亡くなった年齢を、私はもう超えてしまった。

  空へゆく階段のなし稲の花  『夜の客人』

 逆上がりと受賞の報せの日。こういう細部は、ずっと忘れない自信がある。

   ◆

 拙い句集に美点を見出してくださった選考委員の皆さまに、心より御礼申し上げます。また、小澤實先生を始め、この句集にかかわってくださったすべての皆さまに感謝いたします。

 

 

選考委員の言葉

佐藤郁良

 今回の対象作は9篇、それぞれに見どころがある充実した句集であった。
 その中で、私が一席に推したのは、『呼応』(相子智恵)である。句の質が揃っており、詠んでいて楽しい句集であった。とりわけ「ザックよりもろこしの髭出てをりぬ」に代表されるように、即物的で対象をしっかりと描いた句に確かな実力を感じた。「鰻重を食ひおほせたり底照りぬ」など、「澤」の方らしい詠みぶりも多く見られたが、この句などはそれが功を奏していたように思われる。何よりも、結社で長くやってきた方の安定感を感じた句集である。選考委員全員の意見が一致し、田中裕明賞に決まったのは当然の結論であったと思う。
 二席に推したのは、『サーチライト』(西川火尖)である。「穭田を粒子の粗い友が来る」など、映像的な見せ方に独自性を感じた句集である。中でも「未来明るし未来明るし葱洗ふ」は、根底に潜む孤独感や幸福への渇望を感じさせる句で、印象深かった。一方、狙いがわかりかねる句も散見され、一席には推し切れなかったが、見逃せない句集であった。今後のますますの活躍に期待したい。
 三席には、『外側の私』(清水右子)を推した。「明日捨てる絨緞に寝転んでゐる」に見られる発想の新鮮さ、「身体から剝がす水着のあたたかし」に描かれた確かな質感には、作者の実力を感じた。ただ、一人称の「私」「我」を用いた句や、直喩の句がかなり多かったのは、気になるところであった。主情的、叙述的な句を減らし、表現のバリエーションを増やすことが、今後の課題かもしれない。
 私の中での次点は、『菊は雪』(佐藤文香)である。「枯草の隙間を細く氷りけり」のような即物的な写生句から全く傾向の違う無季の句まで、実に多彩な句が収められていた。実力のある作者だけに、いろいろなタイプの句が作れるのであろうが、結果的に作者像が立ち上がってこなかったことは残念に思われた。
 『光聴』(岡田一実)にも注目した。「駆けて来る夏の帽子を手づかみに」など、対象をいきいきと活写する力があることは感じたが、同じ季語の連続や類似した発想の句が散見された点が残念であった。もう少し句を絞って句集を編まれた方がよいかもしれない。
 その他の句集にも見どころはあったが、気になる点も少なからずあり、選外となった。今後も挑戦する気持ちを忘れることなく、ご自身の俳句を深めていただきたい。



関悦史

 独自のスタイルに到達した句集がいくつもあった。この何年か50代以下くらいの句集の豊作期に入っているのではないか。迷った末、岡田一実『光聴』を1位とした。他の委員から指摘があったとおり同じ題材の句で句集が散漫化している局面もあり、最高の完成度とはいいがたいが、無害な写生にとどまらず、事物の関係をも変えてしまうような強力に食い入る視線には、こちらも一俳句作者として汲むべき滋養があると見えた。
 2位にした相子智恵『呼応』は世界への腰の低さと情の厚さによる観察眼を、余白を埋めつくして押してくる文体でリアライズしたものであり、2014年以降の作が未収録であるにもかかわらず、間然するところのない量塊を成していた。私が1位にしていたら委員全員からの最高点を得ていた実のある句集で、授賞に異存は全くない。
 3位にした西川火尖『サーチライト』は労働者視点からの社会性と、映像録音機器等のモダンな美、及び光(それも宗教的なものに接近しない機械的な)が持つ精神性への志向とが結晶し、泥臭い内容をも高熱でガラス化したかのような作風に魅力があった。
 赤野四羽『ホフリ』は超越志向風の幻想句が、超越を断念した低徊趣味と折り合いをつけかねつつ共存している態にかえって現在的なリアリティを感じた。そこが同時にもどかしい。
 佐藤文香『菊は雪』は著者が私と同じ所属誌にいるため点は入れなかったが、実作によって俳句を思索し更新していくいわばメタ俳句が叙情をも担っている点、現在の俳句のひとつの達成といえ、マニュアル的な俳句評価基準を超える批評の言葉を要請してくる。評価し得なかったことでいたみを負ったのは裕明賞の側かもしれない。佐藤智子『ぜんぶ残して湖へ』にも、既存の評価基準に揺さぶりをかける、俳句読者以外に訴えうる清新なポエジーとリーダビリティの高さはあった。



髙田正子

 今年は推したい句集がすぐに見つかり、1冊に絞り込む悩ましさからは解放された。だが申すまでもなく、句集は著者自身に等しい。大切に、丁寧に読み解いていくことは、お目にかかったことのないその人を知る楽しさである。だからこそそれを評価の場に持ち込むことが苦しくもあるのだ。選考委員とはその甘さと苦さを同時に味わう立場なのだと改めてこころした次第である。
 一位には迷わず『呼応』を推した。〈ゴールポスト遠く向き合ふ桜かな〉〈花時やカツ丼の蓋閉ぢきらず〉は生活の中の即物的な桜。精神性を求めないところが却って新鮮に思われた。〈夢ヶ丘希望ヶ丘や冴返る〉と皮肉な視線を示す一方で〈松下村塾八畳一間草青む〉と熱いこころもちらりと見せる。〈日盛や梯子貼りつくガスタンク〉や〈富士壺の口寒月の照らしをり〉など不思議なものに確かな詩情を見出すユニークさもある。非情な側面もありながら、全体におおらかで明るいオーラに包まれた一集であった。
 二位には『光聴』を推した。巻頭の1ページに並ぶ3句〈疎に椿咲かせて暗き木なりけり〉〈空に日の映るを怖れ石鹼玉〉〈白梅の影這ふ月の山路かな〉を拝読し、思わず姿勢を正した私である。〈描線を略さず烏瓜の花〉対象を克明に捉え、〈噴水の白き色得し水の粒〉ときには時間の流れごと描きたいと願っておられるのかもしれない。ただどの章も似通った速度を保っていて、緩急に乏しく感じられたのが残念である。
 三位に推したのは『菊は雪』である。右開きで句集が、左開きで句集制作日記が読める両開き仕様。著者自らが記しておられるように、句集を読み解く攻略本の役割を日記が担っている。ページ数は圧倒的に少ないながら、私には日記のほうが興味深く思われた。〈線を引きそれを弧といふ鳥の恋〉理が勝っている句から、〈枯草の隙間を細く氷りけり〉とてつもなく美しい句まで、さまざまに詠み分ける力量はさすがだ。
『サーチライト』の境涯性の濃さにも惹かれた。〈枯園の四隅投光器が定む〉〈未来明るし未来明るし葱洗ふ〉「未来明るし」のリフレインが切ない。



髙柳克弘

   今年も幅広い句集が集まり、現代の俳句の多様性を実感した。現実らしさがひとつのキーワードと感じた。曖昧模糊としてつかみづらいこの現実というものを、いかに十七音に写し取るか。一位に押した相子智恵『呼応』は現実らしさに加え、風格があり、句集を繰るうちに言葉が現実を超える瞬間を何度もまのあたりにした。「一滴の我一瀑を落ちにけり」「牡丹雪みるみる傘を暗くせり」。二位に押した西川火尖『サーチライト』は若者を苛む労働の現実が生々しく切り取られている。「花を買ふ我が賞与でも買へる花を」「非正規は非正規父となる冬も」。三位に押した佐藤文香『菊は雪』は「香水の水面のせまく並びけり」など狭い現実も、「真菰枯れ折れたり沖は日の塒」とおおらかな現実も掬い取る。以下は心に残った句を一句ずつ挙げたい。
 「金亀子だれかがだれか笑う雨」(加藤又三郎『森』)、「猫の目は泉それから金貨かな」(赤野四羽『ホフリ』)、「明日捨てる絨毯に寝転んでゐる」(清水右子『外側の私』)、「ライブ後はみんなばらばら沙羅の花」(木田智美『パーティは明日にして』)、「先ほどの茄子とは違ふ空の紺」(岡田一実『光聴』)、「コンビニの食べていい席柳の芽」(佐藤智子『ぜんぶ残して湖へ』)




選考経過報告

 第13回田中裕明賞の選考会は、5月14日の午後2時よりリモート会議による選考会となりました。
 選考委員は、あらかじめ良いと思われるものに3点、2点、1点をつけてもらい上位3位までを決めてもらいます。
 その結果、相子智恵句集『呼応』11点、岡田一実句集『光聴』5点、西川火尖句集『サーチライト』5点、佐藤文香句集『菊は雪』2点、清水右子句集『外側の私』1点、という結果となりました。
 3人の選考委員が句集『呼応』に最高点の3点を付け、関悦史選考委員が2点、しかし、3点を付けてもよいと思ったくらい良い句集であったという関選考委員の前置きがあり、その上でひとつひとつの句集について話し合いをいたしました。
 その結果、最高点をとった句集『呼応』の受賞は選考委員のだれも異存がなく、今回の田中裕明賞の受賞となりました。
 得点の入った句集のみでなく、得点の入らなかった句集についてもそれぞれの評価がきっちりとされ、全体的にレベルの高かった応募句集であったと思います。
 冊子「田中裕明賞」」にすべて記録されていますので、応募者の方は是非に読んでいただきたいと思います。

 

ふらんす堂 山岡喜美子

 

第13回 田中裕明賞候補作品

○『光聴』(岡田一実/2021年3月25/素粒社)
○『パーティは明日にして』(木田智美/2021年4月27日/書肆侃侃房)
○『外側の私』(清水右子/2021年5月29日/ふらんす堂)
○『菊は雪』(佐藤文香/2021年6月30日/左右社)
○『』(加藤又三郎/2021年6月30日/邑書林)
○『ホフリ』(赤野四羽/2021年9月30日/RANGAI文庫)
○『ぜんぶ残して湖へ』(佐藤智子/2021年11月30日/左右社)
○『呼応』(相子智恵/2021年12月12日/左右社)
○『サーチライト』(西川火尖/2021年12月28日/文學の森)

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